大阪地方裁判所 昭和40年(わ)2566号 判決 1967年3月06日
主文
被告人洪性仁を懲役一年六月に
被告人臼井正人を懲役一年二月に
被告人田仲満を懲役一年に
被告人金相基を懲役八月に
それぞれ処する。
未決勾留日数中、被告人洪性仁に対しては三〇日、被告人臼井正人に対しては六〇日を、それぞれその刑に算入する。
被告人臼井正人、同田仲満、同金相基に対し、この裁判確定の日から三年間それぞれその刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人四名の連帯負担とする。
理由
(事実)
被告人洪性仁は、やくざの団体神戸山口組系柳川組の幹部で同組傘下の新柳会(会長は実弟洪賢一)の相談役、被告人臼井正人、同田仲満は、いずれも新柳会の会員、被告人金相基は、右洪賢一が社長となり大阪市北区堂島上二丁目五番地曽根崎ビル三階に新柳会と共用の事務所を置く金融業YK商事株式会社の総務部長であるが、
第一、被告人金相基、同田仲満は、右洪賢一および新柳会若者頭金岡達とともに、昭和三九年一一月一二日、YK商事の社員林茂盛が田淵淳一に家財道具などを差押えられたことを聞き、もともと田淵も同商事の社員格としてその事務所に出入りしていた者であったところから、同商事の社長である洪賢一や他の幹部らに相談することなく勝手に仲間うちの林に対して差押えをしこれら社長、幹部をないがしろにしたと憤慨し、田淵を難詰、謝罪させ差押えを解放させるため、同人を電話で呼出したところ、同日午後六時三〇分ごろ、田淵が右呼出しに応じて前記YK商事の事務所に来たものの、身の危険を慮り、知人の木村嘉彦を伴って来たため、洪賢一において木村に対し「お前は関係がない。帰れ。」と退去を要求したが、同人が容易に立ち去ろうとしないのみか神戸山口組組長田岡一雄、柳川組幹部橋本健と親しいなどと云って威圧しようとする態度に出たので、これをみた新柳会会員通称新二郎が「お前会長にたてつく気か。」などと云いながら手拳で木村の顔面を殴りつけ、また、洪賢一も田淵に対し「林がうちのものと知ってやったのか。お前、わしを何と思うているんや。」などと怒鳴りつけ手拳で同人の顔面を殴りつけた。そこで、これをきっかけとして、その場に居た被告人臼井、同田仲は、金岡達、新柳会会員通称辰五郎とともにこれに呼応して田淵、木村に暴行を加えようと決意し、新二郎、洪賢一を加え六名共謀のうえ、同事務所の事務室内において、こもごも田淵および木村の顔面、頭部などを殴打し背部、腰部などを足げりするなどしたが、なお憤念の治まらない洪賢一が被告人臼井、同田仲らに対し「こいつら逃がすな。奥へつれて行け。」と命じたため、被告人臼井、同田仲らにおいて田淵、木村の両名を同事務所奥の応接室に引きずり込んだうえ、被告人臼井、同田仲ら前記六名に被告人洪性仁、同金相基も加わり八名共謀のうえ田淵、木村を同事務所内に監禁してさらに暴行を加えようと決意し、右応接室において、皆で田淵、木村をとり囲み、こもごも「なめてんのか。」「馬鹿野郎。」などと怒鳴りつけ、その顔面、頭部その他身体各部を手拳で乱打し、革靴ばきのままで足げりにするなどの暴行を加えるとともに、その生命、身体に対しどのような危害を加えるかも知れない気勢を示し続けて畏怖させ、同日午後一〇時三〇分ごろまでの間、右両名をして同事務所から脱出するのを不能ならしめ、もって両名を不法に監禁するとともに、その間の暴行により、田淵に対し約一〇日間の入院加療を要する顔面、胸部各打撲傷を、木村に対し約三週間の加療を要する鼻骨骨折、頭部打撲傷等の傷害を与えた。
第二、被告人洪性仁、同臼井正人、同田仲満は、前同日午後八時すぎごろ、前記YK商事事務所において、神戸山口組系小西組組員岸本英一(当時一九年)が勝手に新柳会会員の肩書を詐称したと腹を立て、洪賢一、金岡達、通称新二郎、通称辰五郎と共同して右岸本の顔面その他身体をこもごも手拳で殴打したり足げりにするなどの暴行を加えた。
第三、被告人洪性仁は、法定の除外事由がないのに、
(一) 昭和三九年八月一六日ごろ、大阪府豊中市庄内幸町三丁目一〇二番地谷川康太郎方において、自動式拳銃一ちょう(二二口径刻印番号二四二、七〇一)を所持し、
(二) 同年一〇月五日ごろ、大阪市北区堂島上二丁目五番地曽根崎ビル三階のYK商事事務所において、回転式拳銃一ちょう(三八口径刻印番号一〇、五四一)を所持し、
(三) 同年一二月一四日ごろ、前記(一)記載の谷川康太郎方において、自動式拳銃一ちょう(三二口径刻印番号二五、〇九三)を所持し、
(四) 昭和四〇年一月二五日ごろ、大阪市北区神明町四二番地木本商事ビル四階YK愛の会事務所において、小型自動式拳銃一ちょう(三八口径刻印番号一〇二、四四二)および小型回転式拳銃一ちょう(二二口径刻印番号八四、九五七)を所持した。
第四、被告人臼井正人は、判示第一の監禁致傷の罪により、大阪市都島区善源寺町一七〇番地大阪拘置所四舎三一二房に未決囚として勾留されていた際、新入同房者にいわゆる「焼入れ」をしようと考え、
(一) 同房者たる丸山和豊、青山博一、砂川昌一郎、竹内昭夫と共謀のうえ、昭和四〇年五月二六日午後三時三〇分ごろ、右房内において、新入同房者杉田登(当二七年)に対し、右丸山らと共同して、その胸部、腹部、背部などを殴るけるなどの暴行を加え、
(二) 右丸山和豊、青山博一、砂川昌一郎、竹内昭夫ならびに同房者南方健次と共謀のうえ、前同日夕刻ごろ、右房内において、新入同房者山田義男(当二八年)に対し、右丸山らと共同して、その顔面、胸部、腹部、大腿部などを殴るけるなどの暴行を加え、よって、山田に対し、全治約一〇日間を要する右眼部、前胸部、両背下部、右側腹部の各打撲傷を負わせた。
なお、被告人田仲満は、二〇年未満の少年である。
(証拠)≪省略≫
(累犯前科)
被告人洪性仁は、昭和三六年四月一五日灘簡易裁判所で窃盗罪により懲役一年二月に処せられ、同三七年五月一五日右刑の執行を受け終ったものであって、右事実は検察事務官久保田義夫作成の前科調書によってこれを認める。
(適条)
被告人洪性仁、同臼井、同田仲、同金相基の判示第一の各所為は、いずれも刑法六〇条、二二一条に該当するので同法一〇条により同法二二〇条一項所定の監禁罪の刑と同法二〇四条所定の傷害罪の刑とを比較し、重い傷害罪所定の懲役刑(ただし、短期は監禁罪の刑のそれによる。)をもって処断することとし、被告人洪性仁、同臼井、同田仲の判示第二の所為はいずれも暴力行為等処罰に関する法律一条、罰金等臨時措置法三条一項二号に、被告人洪性仁の判示第三の所為は包括して昭和四〇年法律四七号附則五項により同法律による改正前の銃砲刀剣類等所持取締法三一条一号、三条一項に、被告人臼井の判示第四の(一)の所為は暴力行為等処罰に関する法律一条、罰金等臨時措置法三条一項二号に、同(二)の所為は刑法六〇条、二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、それぞれ該当するから、いずれも所定刑中懲役刑を選択することとし、なお、被告人洪性仁には前記の前科があるので刑法五六条一項、五七条によりその各罪につき再犯の加重をする。
ところで、被告人洪性仁、同臼井、同田仲、同金相基の前記各罪は刑法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により最も重い木村嘉彦に対する監禁致傷の罪の刑に法定の加重をする(ただし被告人洪性仁については同法一四条の制限に従う)。
そして右各刑期の範囲内で被告人洪性仁を懲役一年六月に、被告人臼井を懲役一年二月に、被告人田仲を懲役一年に、被告人金相基を懲役八月にそれぞれ処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち被告人洪性仁に対しては三〇日を、被告人臼井に対しては六〇日をそれぞれその刑に算入することとし、被告人臼井、同田仲、同金相基に対しその情状にかんがみて、同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日からそれぞれ三年間その刑の執行を猶予する。(被告人田仲については少年法五二条三項により同条一、二項を適用しない。)
なお、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人四名の連帯負担とする。
(付記)
一、判示第一事実の罪名および罪数について
当裁判所は、判示のとおり、被告人臼井、同田仲らが洪賢一に命ぜられて田淵淳一および木村嘉彦をYK商事事務所奥の応接室に引きずり込んだころから初めて右両名に対する監禁の実行の着手があったものと認定するとともに、その監禁の継続中右両名に加えられた暴行は、被告人らの憤情を晴らすためにそれ自体を目的としてなされたものであると同時に、監禁の手段としても利用されたものと判断した。しかも、右暴行もまた監禁着手前の暴行とともに判示各傷害の原因となったことが挙示の関係証拠によって容易にうかがわれるので、本位的訴因のとおり、監禁致傷罪の成立を認めたのである。そして、監禁着手前に被告人臼井、同田仲が金岡達、通称辰五郎、通称新二郎、洪賢一と共謀して前記田淵、木村の両名に加えた暴行はこの両名に対する各監禁致傷と接続一罪の関係にあるものと解し、判示第一事実については被告人臼井、同田仲に対しても各被害者ごとに監禁致傷の責任のみを問うべく、別に暴行ないし傷害の責任はこれを問わないこととした。
二、判示第三事実の罪数について
判示第三の(一)ないし(四)の各拳銃の所持については、訴因の制約のもとでそれぞれ一時点における所持の事実についてのみ認定したため、一見、各独立した四個の所持罪が成立するかの観を免れないので、これを包括一罪と判断した理由を左に説明する。
挙示の関係証拠によって本件拳銃五ちょうの実際の所持状況をみると、それは次のとおりである。すなわち、被告人洪性仁は、昭和三八年九月中ころ清水光重から判示第三の(三)の拳銃を購入し昭和三九年一二月一四日ころ藤田勝二に売却するまで肌身離さず携帯するかまたは当時起居していた判示谷川康太郎方に置いて所持していたものであり、その間昭和三九年八月一五日ころ判示第三の(一)の拳銃を右清水より購入し翌一六日頃右谷川方で藤田に売却しているのである。また、同被告人は、昭和三九年一〇月五日ころ判示第三の(二)の拳銃と同(四)のうち自動式拳銃とを一括して原田栄三から購入し一旦判示YK商事に持ち帰えったうえ即日同所で(二)の拳銃のみを堀川甚助に売却し、他方(四)の右自動式拳銃はそのころ多田昭政からもらい受けた(四)の回転式拳銃とともに昭和四〇年一月二五日頃伊藤芳文に預けるまでの間、一括して、肌身離さず携帯するかまたは前記谷川方等に置いて所持していたのである。このように、本件拳銃五ちょうは、所持の時期において順次重なり合う関係にあり、かつ、その組み合わせは時期的に異にしてはいるものの一の拳銃と他の拳銃とがいずれかの時期において一括所持の関係にあったのであるから、その不法所持罪の罪数処理については、そのすべてを包括して一罪の関係にあるものと解するのが相当である。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河村澄夫 裁判官 岡田春夫 谷口敬一)